: 雨音 Scene:8 :


「……そもそも彼女は、何処の誰?」


「……ん?」


ほとんど間をおかず、彼女は唐突に、つぶやくように言った。
対して俺の答えは――無理もないだろう?――間抜けなもんだ。


そんなことはパイオニア・セカンドのハンターズなら、誰でも知っている。


「パイオニア・ファーストのハンターズで、パイオニア・セカンドの総督の娘だ」


「でも貴方は、総督に聞かされるまで、そんなことは知らなかった」


ああ、そうだ。
先頭を行くパイオニア・ファーストに、凄腕のハンターズがいる、と、聞いていたく
らいだな。
噂程度の知識だ。

       レッドリング
「貴方が“赤い輪”の噂を聞いたのは、いつ?」


「……気にする必要がなかったからな」


噂を聞いたのはいつか?
噂話が、“噂話になった”のが、いつか?
そんなことを気にしている者はいないだろう。
胃に穴が開いちまう。


「そう、誰も気にしないわ。
 その噂が事実に根ざしているのか、という事も。
 ……総督の言ったことが本当かどうかは、誰にも分からない」


まあ、そのとおりだろう。
しかし、だからと言って。


「総督が、俺たちを騙す理由がない」


「総督には……ね」

 レッドリング
“赤い輪”には、その理由があったと?
総督はもちろん、総督の話を聞くもの全てを騙す、理由が。


何のために?
     レッドリング
第一“赤い輪”は、当時既に行方不明だったはずだ。


「彼女は、私たちが思っているものとは、違うのかもしれない」


……違う?


「……“闇の化身にして偉大なる眠れる邪神”は、精神体だという情報があるわ」


その強力な精神波に感化され、消えた――文字どおり消えた――ハンターズも多い。
餌にされちまったんだろう。
あの糞ったれは、そうやって力をつけながら、復活する日を夢見ている。
いつか、“優秀な素材”とやらが手に入る、その時まで。


その時は、程なくしてやってきたはずだ。
             レッドリング
現に俺たちは、“赤い輪”を見ている。
取り込まれた彼女が、空に散っていくのを!

  レッドリング
「“赤い輪”は、取り込まれたんじゃないと?」


「その可能性は、否定できない。
 ……もっと悪い可能性も、あるかも知れないわ」


もっと悪い……。
              レッドリング
俺たちを欺いて、“赤い輪”は、地下で何を――――――!?


「……そう、その可能性がある……」


彼女が、思っているものとは、違うとしたら。
彼女が、取り込まれたのではなく、“戻った”のだとしたら。
彼女が、無限の距離を飛来してやって来た、“悪意”だったとしたら。


……彼女が、パイオニア・セカンドに送り込まれた、最初の“敵”だったとしたら。


行方不明なんじゃない。
取り込まれたのでもない。
どこかに屍をさらしているのでもない。


彼女は。

 レッドリング
“赤い輪”なんてものは。


“はじめから、いなかった”……!?


「彼女の存在を信じ込まされた、パイオニア・ファーストのすべての乗員を食らい、
 私たちを食らい、後に続くパイオニア移民船団のすべてを食い尽くすために……」


俺たちの、記憶に、入りこんだ……!?


彼女は……いや、奴は。
奴こそが“闇の化身にして偉大なる眠れる邪神”。


そのものの名は――――――――。


「……まさか、そんな事が」


思わず彼女のほうを向く。
言いようのない不安が、胸に篭っている。


爆発事件は、次の獲物を引き寄せる餌。
奴の“計画”は、俺たち――厳密には、パイオニア・ファーストよりさらに先行する
無人機――が、惑星を発見した時から、はじまっていたと……?


「……たとえば、の、話よ。
 レンジャーさん。
 ……それとも何か、思い当たる事でも?」


カウンターにうつ伏せて、くす、と、彼女が笑う。
ブロンドが流れ、横顔を覆っていく。


矛盾は、多々ある。
それに恐ろしく、突飛だ。


だが。


その可能性を否定できない。
物事は、常に多面的なのだから。


「マスター、御馳走様」


「有難うございました」


彼女は、来た時と同じように、静かに立ち上がる。
そしてドアをくぐったところで、肩越しに振り返った。
帽子を取って、聞き慣れた、ハンターズの挨拶代わりの言葉を口にする。


「縁があったら、下で会いましょう」


妖しく笑う唇。


照明のせいだろうか。
ブロンドは紅く紅く染まり、左手の帽子に代わって持ち上げられた、右手に光って
いる眼鏡は、独特なラインのくせに、妙に見覚えがあるように思えた。


そしてドアが閉じ、小さくベルが鳴る。


言葉を失った俺が、グラスを落とさなかったのは、奇蹟なんかじゃない。
ひびが入るほどに、握り締めていただけだ。
何故って、眼鏡をかけたその姿は、長い耳の隠れた顔は、あまりにも―――――。


今度は乱暴に扱われたドアのベルが鳴り響く。


「有難うございました」


雨は止んでいた。
街は、息を潜める様に静まり返っている。


まるで、


何かに怯えている様に。




<back △novel top next>